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ココロうごかす、震源地

読んだその日から行動しはじめるキッカケを創ります。

NTTドコモの出世街道を捨て無職になった完伍を丸裸に分析した詳細プロフィール

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はじめまして、完伍(@kangohayashi)です!


まずはざっくり略歴を。

1991年生まれの25歳、大阪府東大阪市出身。

小学2年生から本格的に野球を始め、酒田南高校在学中に2度甲子園出場を果たした元プロ注目選手。

その後関西大学を経てNTTドコモに就職し、新人ながら大手外資系企業を担当する本社法人営業部に抜擢され、単年売上2.4億円を達成し本部長表彰を受賞。

会社員の傍ら、大手芸能事務所に所属し歌手を目指すも方向転換。

会社も事務所もやめて、アスリートのセカンドキャリア問題を解決するために、高校の野球部を訪問しながら1年かけて日本を一周します。


本エントリは当ブログの管理人である完伍の詳細プロフィールです。

はじめに、ボクの人生軸(夢)や価値観について綴っています。

そして、具体的なエピソードを交えながらありのままの完伍をさらけ出しました。

「どんな人間が運営しているのか」が正確に伝われば嬉しいです。

はじめに

まずはじめに、自分の人生軸や大切にしている価値観について共有したいと思います。

人生軸

ボクの人生軸は「やりたいことやすきなことに夢中な自分の生き様を通して、周囲のみんなの人生を良い方向に変えるキッカケを創っていくこと」です。


原点は高校時代にさかのぼります。

甲子園に出場したボクは、だいすきな野球に夢中な自分の姿が周囲に強い影響を与えたことに感動したんです。


ボクが甲子園の切符を勝ち取った時に、スタンドにいるたくさんの人が感動して泣いてくれました。

同世代の友人に「頑張っているお前を見てもっと頑張ろうと思った」と声をかけてもらいました。

お世話になった少年野球チームの後輩たちは「俺たちにもできる」と勇気をもち、ボクと同じように大阪から山形に野球留学し夢の実現に挑戦しています。

それはボクが甲子園に出場してから10年ほど経った今もなおです。


これから先長い人生、野球に変わる「すきなこと&やりたいこと」に夢中になり、誰かの人生の歯車を良い方向に動かす。

自分の葬式に10万人の参列者を集めます。

10万人に「お前のおかげで人生変わったよ、ありがとう」と思われたいんです。


それがボクの夢です。

価値観

大切にしていることはたくさんありますが、あえて絞ると以下の3つです。

  • 失敗を恐れずチャレンジし続ける
  • 信念を曲げてまで他人に媚びない
  • 己の道は己で決める


詳細は過去記事をご確認ください。

関連記事:大手芸能事務所在籍者が語る、失敗なんか痛くも痒くもない話。

関連記事:とことんワガママを貫いて結果で雑音を消し飛ばせ

関連記事:決断ってなに?己で己の人生を歩めていますか?

幼少期

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物心がついた時にはバットとボールを握りしめていたみたいです。

振り返ると、この時点で野球一色の人生を送ることが決まっていたんじゃないかって。


もしかして親に人生をコントロールされたのか?

天才的な記憶力

わずか3歳で、ひらがな・カタカナ・アルファベットを習得。

当時、仰向けに寝転びながら空中で字を書く練習をしていたんです。

周りからはその姿が不自然に見え、頭がおかしい子と判断されて病院に連れて行かれそうになりました。


幼少期から学習意欲が高かったんでしょうね。

相撲熱が異常

3歳のボクは相撲がだいすきで、新聞の星取表を確認しながら毎日のようにテレビ観戦していました。

当時現役の力士の漢字は全部読めていたみたいです。

(貴乃花やら若乃花やら曙やら武蔵丸など)


漢字が得意な学生になれたのは、この頃の相撲熱のお陰?

小学生時代

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相当やんちゃな小学生だったので、たくさんの大人たちに迷惑をかけました。

ただそれは欲望のままに行動していたからです。

大人になるにつれ少なからず周りに気を遣うことが増えたので、小学生の頃が一番素の自分をさらけ出せていたんでしょうね。

異常な負けず嫌い

ある年、学校のクラス対抗球技大会で優勝できなかったことがあって。

悔しくて悔しくて、でも悔やんでいるのは自分だけで。

思わず担任の先生に「こんなクラス嫌や!」と泣きながら訴えてしまいました。


本格的に始めた野球では、一打席凡退しただけでベンチで涙目。

大会で負ける度に悔し泣き。


とにかく負けたくなかったんです。

負けると楽しくないですもん。


それは大人になった今でも同じです。

大人顔負けの決断力

本格的に野球を始めたきっかけは、親に相談せずに勝手に参加した地元少年野球チームの入部体験です。

公文や塾を習い始める時も、いつも自分で決めていました。


来週から通うから月謝よろしくね!

お金の工面は親の役目。


ボクの決断を一度も否定しなかった親に脱帽です。

中学生時代

納得いかないことにはとことん噛みつくため、相変わらずたくさんの大人たちに迷惑をかけていました。

人との衝突も多く、親が一緒に頭を下げてくれた回数は数えきれません。

(生まれ育った環境が悪い)


ただなんとなく、小学生の頃よりは丸く収まり始めていましたけど。

先生から生徒会長をお願いされる

目立ちたい モテたい カッコつけたい

中学生のボクの頭は欲望で溢れていました。

やりたいことがあれば大声で叫び、この指とまれをしたら集まってくれる仲間にも恵まれ、リーダーシップとやらをそれなりに発揮していたんでしょう。


3年生になると、複数の先生から「お前が生徒会長になれ」とオファーをいただきました。

平日は学校の陸上部と塾通い、土日祝日は野球をしていたので余裕がなくお断りしましたが、大人たちから見ても"学校の代表はこいつだ"と思われるくらいの存在だったようです。

所属の野球チームでは嫌われもの

甲子園に出場するという明確な目標をもつボクと周囲には大きな溝がありました。

関連記事:とことんワガママを貫いて結果で雑音を消し飛ばせ

チームメイトに話しかけても無視をされることがしばしばで正直辛かったですけど、この経験から信念を曲げないことの大切さを学びました。

野球強豪校からスカウトされた

チームメイトに嫌われながらもコツコツ取り組んだ甲斐があって、複数の高校から特待生としてお誘いを受けました。

その中でも以下の3点が決め手となり、

  • 親元を離れて寮生活ができる
  • 当時過去10年の夏の大会で7回甲子園出場の実績をもつ
  • 大学の指定校に有名大学が含まれている


山形県の酒田南高校に進学を決意。

進学の条件①:寮生活を送れる環境

すごく厳しい両親だったので、とにかく逃げたかったんです。

寮生活を送れば、もう近くでガミガミ言われることもなくシバかれることもない。

(怒らせるお前が悪い)


離れて暮らす寂しさよりも、解放される喜びを感じていました。

進学の条件②:高い甲子園出場確率

甲子園出場が目標だったボクは、確率を強く意識していました。

大阪には約200校あり、全体的にレベルがとても高いんです。

一方山形県は、60校にも満たない競争率で県全体のレベルはまだまだ発展途上でした。


どっちの方が確率が高いかは一目瞭然でしょ。

進学の条件③:有名大学へのパスがあるかどうか

ボクは、野球だけの人生はつまらないと考えていました。

勉強も嫌いじゃなかったし、なんか他のことやりたかったんですよね。


今振り返ると超学校教育的発想だけど、とりあえず有名な大学に進学できる準備を前倒しで進めたかったんです。


そういう意味では、指定校枠に関西の有名私大が含まれていたことは進学の決め手の一つ。

子どもなりに寂しがる母親の心情を理解し、大学は大阪に帰ってくることを中学生の時点で心に決めて次のステップに進みました。

高校生時代


速報!甲子園への道(2009/7/25)


高校2年生と3年生の夏に甲子園出場を実現しました。

上記の動画では、3年生の夏の大会決勝の模様がダイジェストで確認できます。

(動画開始後8分50秒あたりからちょろっと出ます)


甲子園までの道のりは辛く険しく、何度も心が折れそうになったんですよ。

軽いホームシック

自分で選択したものの、15歳には少し厳しかったです。

それに追い打ちをかける高校野球特有の強烈な縦社会。

関連記事:【いじめ問題】元甲子園球児が高校野球界の知られざる実情を暴露する


入寮後最初の1週間は毎日布団に潜って泣いていました。

関連記事:母親のぬくもりだけは絶対に忘れたくない


今となってはいい思い出ですけどね。

絶体絶命補欠のピンチ

高校2年生の夏の大会前に調子を崩したボクは、直前の東北大会で3番バッターを任されていたのにもかかわらず、控え選手にまで成り下がっていました。

夏の大会のメンバー発表時に配られた背番号は屈辱の2ケタ。

当時のチームは、県内代表の本命と呼ばれる強さを誇っていたので、普通にやったら甲子園切符をつかむことは可能な位置にいました。


このままでは胸を張れない里帰りになる。

待ってくれている地元のみんなに合わす顔がない、カッコ悪い。


自らを奮い立たせ、県大会の準決勝にようやく出場のチャンスを掴みとりました。

その日は新聞に載る活躍を見せ、翌日の決勝戦では無事スタメン復帰。


そして、優勝。

最終回あとアウト一つ、最後の一球がキャッチャーミットに収まり、みんながマウンドに駆け寄るあの瞬間を一生忘れることはないでしょう。


諦めなかったら夢は叶うことを証明できたんです。

この大きな成功体験、そしてそれまでの道のり一つ一つがボクを強くしてくれました。

3年間の集大成

自分の代でも甲子園に出ることはできました。

ただ結局、甲子園で勝つことはできなかったんです。

今振り返ると勝つための取り組みができていなかったんですよね。

目標が甲子園出場になっていましたから、そりゃ勝てないや。


負けた時は、悔しさよりも充実感が勝っていた記憶があります。

あーやっと終わった、解放されたーって。

これからは早起きしないでいいし、野球で悩まなくてもいい。

普通の高校生活を送れるんだと。


敗戦の翌日にはUSJに遊びに行ってましたもん。笑

そして卒業までに10キロ太りました。おい

大学生時代

燃え尽き症候群ってやつにやられました。

体育会硬式野球部に所属しながらも、今までみたいに真剣に野球に取り組むことができなかったんです。

そりゃそうです、高校で夢叶えてしまったんですから。

就活で絶望する

3年生の秋、就職活動に向けて準備を進めていた頃に自己分析を始めました。

その時にボク、絶望したんです。

何に絶望したかって、自分の大学生活の薄っぺらさにですよ!


面接で大学のエピソードを何一つ語れなかったんです。

大学3年間を無駄にしたことを痛感し、これからの人生二度と同じ過ちを繰り返さないと決心しました。


そして、まずは目先の就職活動に全力を注ぎました。

第一希望から内定を得る

当時は12月から就職活動が本格的にスタートし、大手企業の面接開始は4月でした。

興味のもった業界のリーディングカンパニーを受けまくるバカな就職活動をしていたボクは、その中でも以前勤めていた会社に入社したい想いが強かったんです。

開催されるセミナーには足繁く通い、積極的なOB訪問の甲斐あって無事内定を得ることができ、4月の1週目で早々と就活を終了させました。

狂ったように英語の勉強を始める

これまで野球の世界に閉じこもっていたボクは、就職活動中にたくさんの人に出会い多様な価値観に触れることができました。

そこで一つの答えを出したんです。


世界を股にかけて活躍するビジネスパーソンに俺はなる!!!


目先の目標として「卒業までにTOEIC750突破」を掲げ、図書館にこもる日々が続きます。

もともと英語がすきだったので、完全にのめり込めたんですよね。

大学3年間を無駄に過ごしたボクは、とにかく躍起になって勉強しました。


無事目標を達成した結果が、勤め先の会社の思いがけない初期配属に繋がります。

社会人生活

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意気揚々と上京し、これからのバラ色人生に胸躍らせていたんですけど、そんな気持ちすぐぶっ飛びました。


自分の将来が全然みえねー

思いがけない初期配属

「おれはいずれ、グローバルに活躍するんだー」って叫んでたら、大手外資系企業を担当する法人営業部に着任することができました。


勤め先の会社では、入社後最初の3年間を地方でじっくり育てる育成方針をとっています。

いきなり本社の部署に配属されたボクは、超異例の待遇を意気に感じエンジン全開で働いていたんです。


だけど、自分の人生がこのまま終わっていいのかと疑問に感じる想いが日に日に強くなっていきました。


グローバルに活躍って、なにそれ。

ほんまはもっと他にやりたいことがあるんじゃないかって。

ずっとずっと、毎日毎日悩み続けました。

何気なく参加した講演が人生の転機に

気づけば社会人2年目。

相変わらずパッとしない日々を送っていました。


そんな時に大学時代の友人から連絡が。

思い悩むボクにとある講演を紹介してくれました。


講演のテーマは「可能性を広げる」


会社勤めを前提にこれからの道を決めようとしていたボクは、自分の可能性に蓋をしてしまっていたんです。


ボクは、本当は唄を歌うことがすきです。

だけど生まれてこのかた、歌手を目指そうとしたことがなかった。

なんでかって、無意識のうちに諦めていたからですよ。


そりゃあこれからの人生をどう歩みたいか答えが出ないわけだ。


童心に帰ろう。

卒業文集で将来の夢を綴ったあの頃のピュアな気持ちを取り戻そう。


講演を機に考え方が180度変わったボクは、気づけば歌手を目指し大手芸能事務所に所属していました。

関連記事:大手芸能事務所在籍者が語る、失敗なんか痛くも痒くもない話。

ベッドの上でひらめいた人生の軸

歌手を目指し始めたものの、何かが違う。

ボクは本当に、音楽レーベルと契約してメジャーデビューを果たし、ミュージックステーションにでも出演して武道館ライブを敢行したいのだろうか。

それがボクの実現したいことなのだろうか。


たくさんの人に会い、本を読み、行動し、ひたすら考え悩みました。

そしたらついに、一つの答えにたどり着いたんです。

ボクが唄を歌いたい根本理由はこれかと。

それは、「自分の想いをメロディに乗せて発信することで誰かを勇気づけたい」という欲求です。

ボクにとって唄を歌うことは手段だったんです。


その気づきと同時に、ボクの人生軸はバシッと定まりました。

現在&これからの展望

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人生軸が定まった今、勤め先の会社で心の底からやりたいことはないし、芸能事務所との契約は必要ありません。

関連記事:新卒で入社したNTTドコモをたった3年で退職しました


ボクの人生軸(夢)は、「やりたいことやすきなことに夢中な自分の生き様を通して、周囲のみんなの人生を良い方向に変えるキッカケを創っていくこと」です。


これまでの人生、酸いも甘いも経験したくさんの人の生き様に触れてきました。

自身の経験を踏まえ、ボクが力になれるターゲット層は以下の3つだと考えています。

  • 20代の会社員で「自分の人生はこのままでいいのか」ともがいている人
  • プロの道が断たれた時に自分の足で歩めなくなるであろうアマチュアアスリート
  • 現役大学生で自分の可能性に蓋をしたまま次の道を選択しようとしている人


2017年5月から、高校の野球部を訪問しながら1年かけて日本を一周します。

アスリートのセカンドキャリア問題を解決するべく、全国の高校球児たちに「自分の頭で考えることの大切さ」を伝えていくんです。

もちろん、旅の隙間時間を使って色んな場所で唄を歌いますよ。

関連記事:ライブ動画配信アプリ『SHOWROOM』の公式アカウントをゲットし歌手として大きく前進


また、お世話になった大学を中心にキャリア支援の実施を考えています。


その生き様をブログや各種SNSで発信することで、もがき苦しむ20代会社員の勇気になる。

やりたいことや好きなことに夢中な自分の生き様を通して、こんな生き方があるんだと考え改めるキッカケを創る。


ボクは自分の可能性を信じています。

各メディアのご紹介

いくつかのメディアを活用しながら、日々情報発信をしています。

 →日々感じたこと、思考の整理に使っています

 →日本一周の記録を残しています

 →ブログ上では読者のみなさんと交流できないので、ぜひFacebookページで!


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